mashima
「普通」って、誰にとっての普通だろう?
「普通はこうするでしょう」
仕事や日常生活の中で、そんな言葉を耳にすることがあります。
例えば、待ち合わせの時間には10分前に到着する人もいれば、約束の時間ちょうどに到着すれば問題ないと考える人もいます。
メールにはすぐ返信するのが礼儀だと思う人もいれば、内容を確認してから落ち着いて返事をすればよいと考える人もいるでしょう。
どちらも本人にとっては、ごく普通の行動なのかもしれません。
では、そもそも「普通」とは、誰が決めているのでしょうか。

自分の常識は、誰かの非常識?
私たちが当たり前だと感じていることの多くは、これまで育ってきた環境や経験によってつくられています。
家庭で教わったこと、学校で学んだこと、職場で身につけた習慣などが、少しずつ自分の中の「普通」になっていくのでしょう。
例えば、電話での連絡を丁寧だと感じる人もいれば、相手の時間を邪魔しないメールやメッセージの方が親切だと感じる人もいます。
そこには世代の違いだけでなく、仕事の内容や生活環境、これまでの経験なども関係しているはずです。
自分にとって当たり前のことが、相手にとっても当たり前とは限らないのです。
「普通」という言葉の難しさ
「普通はこうする」という言葉には、時として相手の考え方を否定してしまう力があります。
言った本人には悪気がなくても、言われた側は「自分がおかしいのだろうか」と感じてしまうことがあるかもしれません。
もちろん、社会には守るべき法律やルール、他人に迷惑をかけないためのマナーがあります。
何でも人それぞれで済ませてよいわけではありません。
ただ、守らなければならない決まりごとと、単に自分が慣れ親しんできた習慣は、分けて考える必要がありそうです。
「普通はこうでしょう」と言いたくなったときに、「私はこう考えているのですが、どう思いますか?」と言い換えてみる。
それだけでも、相手との会話は少し変わるのではないでしょうか。
違う考え方に出会う面白さ
仕事でも、自分とは違う考え方を持つ人と出会うことがあります。
最初は理解できなかった意見でも、理由を聞いてみると、なるほどと思うことがあります。
自分では気づかなかった問題点が見つかったり、まったく新しい方法を思いついたりすることもあるでしょう。
違いがあるからこそ、物事を別の角度から見ることができるのです。
もちろん、すべての意見に賛成する必要はありません。
大切なのは、自分と違う考え方をすぐに間違いだと決めつけないことなのだと思います。
自分の「普通」を少し疑ってみる
私たちは毎日、数えきれないほどの判断をしています。
その一つひとつを深く考えていたら、生活するだけでも大変です。
だからこそ、経験から身につけた常識は、日々の判断を助けてくれる大切なものでもあります。
ただ、ときにはその常識を少し離れた場所から眺めてみるのも面白いのではないでしょうか。
「それって、本当に当たり前なのだろうか?」
そんな小さな疑問から、今まで見えなかったものが見えてくることもありそうです。
自分にとっての普通は、世界中の人にとっての普通ではない。
そう考えるだけで、人との付き合い方が少しやさしくなる気がします。
